花を飾る 日常をホンノリと彩る…

花のお話 その17「西行法師 願わくは 花のもとにて 春…」


西行法師といえば名門(藤原鎌足を祖に持つ)武士の家を捨てて出家した、今でいう「イケメン」の歌人であったそうです。西行法師の生きていた時代は平氏が全盛期を迎える前で、朝廷でも、また武家の間でも血生臭く、親子親戚が敵味方に分かれて戦うような時代でしたので、そのような世の中を儚んで出家したと言われていますが、本当の所はよく分からないようです。家を捨てるという事は、妻や子供も捨てるという事ですが、出家した以後も家族の事を気にかけている様子も伝えられています。正直言って、西行法師の生き方にそれほどの感情移入をする事でも無いのですが、やはりその時代を代表する歌人の詩となれば、話は別です。やはり「願わくは 花のもとにて春死なむ その如月の望月の頃」は、詩の中に「死」という文字が入っているにも関わらず、西行法師の美意識と自然の花の美しさをイメージさせてくれます。

ちなみに、西行法師はこの詩の通りに1190年2月16日に亡くなられます(73歳、この詩を詠まれたのは60歳半ば頃)が、これは太陰歴で、太陽暦だと3月23日となります。太陰暦には閏月があって、年によっては旧暦から新暦の日を換算するとそれほどの差が無い場合もありますけど、西行法師が没したのは新暦の3月23日で間違いないようです。どうしてそのような事を書くかと言えば、詩の中にある「如月」が2月ですので、「その時に桜は咲いているのか、それは梅ではないのか?」、という事がよく議論となるからです。新暦での3月23日なら、桜が咲いていても不思議ではありません。梅はもう、散っている時期です。この時期の桜は今でいうヤマザクラでしょう。実際、私の頭の中にあるのは桜のイメージです。

西行法師は桜を好まれた方で、その歌集である山家集でも、桜の詩を多く読まれているようです。全てを知っている訳ではないのですけど。「花に染む心のいかで残りけん 捨て果ててきと思ふわが身に」という歌があります。この詩も好きなもののひとつです。これも桜を詠ったものであるようです。「この世を全て捨ててきた身なのに、なぜこんなに花(桜)の美しさが心に染みてくるのだろう(私の心を捉えるのだろう)」といった思いの詩でしょう。私にとって、西行法師=桜の花なのです。

桜(ソメイヨシノ)の花は切り花には向きませんので(大きな枝の桜は活け花で使う事もありますが)、自然のものを眺めるしかありません。余談ですが、桜はその華やかさとは違って、非常に弱い木です。枝も水を吸い上げる力が弱く、そもそも、桜の枝を切ってしまうと原木が弱ります。自然交配で生まれた木ではなく、挿し木で増えるクローンですから。と、薀蓄めいた事を書くと艶のない話になってしまいますが、桜という花の美しさは、西行法師のように自然の中にあって愛でるしかないものです。幸いなことに、家の真ん前の公園に桜の木があり、毎年、その美しさを身近に楽しむことができます。「飾る」ことはできませんが、窓からの「借景」です。

余談ついでに、花とは関係ありませんが、有名な「三夕」のひとつ、「心なき 身にもあわれは知られけり 鴫(しぎ)立つ沢の秋の夕暮」。この詩と、先ほどの「花に染む心のいかで残りけん 捨て果ててきと思ふわが身に」の詩は、季節の裏表で、趣の異なった「美しさ」を、お行儀の悪い表現ですけど、「イヤになるくらい」感じさせてくれます。秋の夕暮を彩っているのは、紅葉でしょうか。ハゼの木、ナナカマドの美しさも目に浮かびます。


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