花を飾る 日常をホンノリと彩る…

花のお話 その22「小林秀雄 当麻 花の美しさと言うようなものは無い」



トピック イメージ 花 昨年のセンター試験で小林秀雄の「鐔」が問題として出題され、現国の平均点がそれまでで一番低いものになったとか、話題になりましたが、確かに小林秀雄の作品は単なる「評論」というよりも、その次元を遥かに超えて、文芸の世界に達していますから、試験の問題としては少々不適切であるとは思います。文芸の領域となれば、万人が共有できる「解釈・理解」というものは存在しないでしょう。それを正解・不正解で○×を付けようとするのは、出題側の考えがよく分かりません。もし、「ゴッホをどう理解するか」が問題とされたなら、その回答の表現力は別として、不正解は無いでしょう。もちろん正解も。であれば、読書感想文のようなものを問題にして、回答者全員を「正解=○」にするべきです。

ただ、それを以って「小林秀雄は難解」とするのには頷けません。難解というだけなら他にいくらでもあります。例えば、ニーチェの「ツァラトストラかく語りき」を試験の問題に出したら、試験にはならないでしょうね。昔読んだ時、5ページ目くらいで「周回遅れ」になったような気がしました。「小林秀雄」を難解とするのは、評論を評論しているようなものです。

テーマの「当麻」ですが、読みは「たいま」、古くは「たぎま」「たえま」とも呼んだそうです。地名の場合はそのままで「 とうま」と読むようです。小林秀雄の「当麻」は、 能の演目の一つですから「たえま」です。筋書きを極々簡単に言えば、奈良の当麻寺で美しい姫が仏法の徳を讃えて舞を舞うという内容ですけど、その能を鑑賞する中で、小林秀雄が文中で世阿弥の「風姿花伝」を引合いに出し、そこで述べたのが、「美しい花がある。花の美しさと言うようなものは無い」という(有名な?)言葉です。これは小難しくなりますけど、「美の客観的な観念」について、それを、曖昧であり、人を悩ますものとつなげている文脈にその真意があります(と解釈します)。興味のある方は、ぜひ、ご一読を。

世阿弥は「風姿花伝」で「数々の技を学び極め、工夫を尽くして後に、初めて花(=美=芸)が失われない境地が分かる」と述べています。この言葉自体は至極分かりやすい言葉で、その通りであると思いますけど、ちょっと話が逸れるかもしれませんが、またこのような事も別の部分で言っています。意訳すると「若い時分に、技ではなく、その身に備わった美しさが現れることもある」です。しかし、それが長くは続かない事も言っています。芸への「勘違い」の戒めでしょうか。確かに今でもよくある事です。

小林秀雄の「美しい花がある。花の美しさと言うようなものは無い」という言葉を、花が好きな一個人として考えると、間違いなく「自然の花」というのは生物的に、その「色・形」を「他の生物を惹き付ける」ために備えている訳で、それが「惹きつける=美」であるとすれば「美しい花」というのは当然、成立します。小林秀雄はそのような事を「否定」しているのではありません。「花」という言葉を「芸」に置き換えれば良いだけです。「美しい芸がある。芸の美しさと言うようなものは無い」と、いう事です。「花の美しさ」を言うならば、前述の世阿弥の「その身に備わった美しさが現れる」という事でしょう。「花」は人間も含め、他の生物を惹き付けるために「必死」で、「美しく」なっています。しかしそれは刹那であり、やがて失われるものです。その花に惹かれて、飾りましょう。


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