花を飾る 日常をホンノリと彩る…

花のお話 その31「木偏に春と書いてツバキ 長年の疑問に答える柳田国男の説」


木偏に「冬」と書いてヒイラギ。これは中国でも日本でも同じようです。では木偏に「春」と書けば…。ツバキ、「椿」です。私はそれに永年素朴な疑問を持っていました。ツバキと云えば、「寒椿」という言葉もあるように、イメージとしては、雪を被りその中に青々とした艶やかな葉を茂らせ、美しく鮮やかな赤や白の花を咲かせる花、です。しかし、字を見れば「春の木」。なぜでしょう?

たまたま読んだ本で知ったのが、民俗学者の柳田国男の言葉、「椿は春の木」。これはラジオ放送の原稿のタイトルだそうですが、その中に「北国の椿の名所」が記されていて、柳田はその北国の椿の風景について「私は人が(椿を)持って行ったものではないか、と考えている」と語っているようです。人がツバキを「北の地」に持って行ったという説です。一般に言われているツバキは4種のうちの「ヤブツバキ」だそうで、本来は照葉樹林の一つであり、暖地に適応したものと考えられていますが、かなりの耐寒性があり、北は青森県まで分布しています。

「人の手によってツバキが(北へ)運ばれた」という柳田国男の説の根拠には色々な事例があるようですが、私はその中の一つの話に非常に説得力を感じました。それは夏泊(なつどまり:青森)に残された伝説です。夏泊のとある浦の娘と、毎年そこへ南から渡ってくる船頭の悲恋物語。娘は都の女たちが黒髪に塗るという「椿油」を自分も使ってみたいから、来年来る時には「椿の実」を持ってきてほしいと、南へ帰る船頭にねだります。しかし、一年待っても二年待っても船頭は現れません。娘は、男が心変わりしたものと悲しみ、海に身を投げてしまいます。

しかし、船頭は心変わりしたのではなく、事情があって船に乗れず、三年目に「椿の実」を持って夏泊に漕ぎ着きます。そして、娘の死を知って悲しみ、その墓の周りに泣きながら、携えてきた「椿の実」を撒いたといいます。それが芽生えて茂り、椿山になったという言い伝えです。

この伝説は、昔、椿は北の地には無く、それが南から人の手によって運ばれてきた事を物語っています。では、本当に「女性の整髪料」としてだけの価値で、北の国へ運ばれたのでしょうか。千葉県や埼玉県に残る縄文遺跡では、ドングリやクルミなどと共にツバキの種子が出土しているようです。ツバキは古い時代から「食用」として、またその搾った油は灯油や火傷の薬としても利用されていたようです。柳田国男の説が正しいとすれば、何が目的で古代の人々は南から北へとツバキを運んだのかという理由は「生活への利用」と考えられます。

これで、永年の素朴な疑問が解けた思いがします。ツバキには、中国でも日本でも古くから「霊力」が宿るとされています。寒い冬でも美しい花を咲かせるこの花の生命力が、人の目にはそのように映ったのでしょう。わが家にも小振りながらツバキの木があります。今朝、まだ蕾のその木にメジロがやってきました。もう少しすれば赤い花を今年も咲かせてくれるでしょう。ツバキは茶道で飾る花の定番です。花が咲いたら一輪、部屋に飾らせてもらおうと思います。


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