花を飾る 日常をホンノリと彩る…

花のお話 その32「花にまつわる日本語の表現の豊かさは詩の中から」



トピック イメージ 花 花についてWEBのコンテンツを色々見ていると、次のような言葉をけっこうあちこちで見かけます。

桜⇒散る
梅⇒こぼれる
椿⇒落ちる
朝顔⇒しぼむ
菊⇒舞う
牡丹⇒崩れる

WEBの特性でしょうけど、コピペで色々なサイトに使われているようです。花の最期を表す言葉として紹介され、日本語の表現の豊かさを語られています。

ですけど、これは、例えば数え方として「船=隻、艘」「ウサギ=羽」「イカ=杯」「箪笥=棹」といったように言葉として定型のものではありません。花に関しては他にも「ジンチョウゲ=こぼれる」「ユキヤナギ=吹雪く」「スモモ=はだれ(雪がはらはらと降り積もる様)」「ハギ=こぼれる」とそれぞれに同じような表現があります。これらは、詩の中に読まれて、それが一般化しているものだと思います。

例えば、サクラが「散る」は定番ですけど、ツバキが「落ちる」は、正岡子規は「落としたか落ちたか路の椿かな」と詠んでいますが、樋口一葉は「山ばとの雨よぶ声にさそはれて庭に折々散る椿かな」と詠んでいます。また、ボタンは高浜虚子が「牡丹花の面影のこし崩れけり」と詠んでいますけど、与謝蕪村は「牡丹散て打重りぬ二三片」と詠んでいます。面白いのは、山頭火の詩で「絵本見てある子も睡げ木蓮ほろろ散る」というのがありますが、これは「散る」ですけど「ほろろ」とその様を詠んでいます。

ジンチョウゲは「庭石に花こぼしをり沈丁花」と富安風生が詠い、ハギは正岡子規が「ぬれて戻る犬の背にもこぼれ萩」と詠い、ユキヤナギでも「こほれて」と表現しています。

引用し始めるとキリが無いのですが、詩人たちは「美しい花の最期」を様々な表現で詠んでいます。それが一般に浸透して、冒頭のような言葉になったのでしょう。詩人たちの目が捉え、言葉を凝縮した中で生まれた表現です。詩人たちが駆使した「日本語の表現の豊かさ」という事では、まさにその通りでしょう。ただ、それが定型化するのはちょっと面白みがない、とは感じます。「蝶々はテフテフ飛ぶ」ではつまらないですよね。と、ちょっとヘソ曲がりな事を感じてしまいました。

ちなみに、このサイトでは俳句も和歌も「句」「歌」とは表現せず、全て「詩」としています。文字だけの問題なのですが、人が「美しいものへの想い」を短い言葉の中に凝縮する時、それは何ものにも置き換えれない色彩を発するものだと思い、それを「詩」という言葉に込めています。言葉の放つ光が「詩」であると思っています。


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