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花のお話 その51「花一輪に飼い慣らされる 花を眺める心の内は…」



トピック イメージ 花 「花一輪に飼い慣らされる」という言葉は今更私がどうこう言うまでもなく、色々なところで語られていますし、WEBでも簡単にその意味を調べることができます。ですが、その意味に、女性にとって少々ネガティブな勘違いをされている方が見受けられますので、押っ取り刀でもありませんが、少し本サイトでも語ってみようかと思い立ちました。「花一輪に弄ばれて」という言い方もあるようですが(?)、同じような使われ方のようです。

確かに「飼い慣らされる」とか「弄ばれて(?)」という表現をそのまま見れば、なるほど、ネガティブなニュアンスに取られるのは致し方ないと思います。その意味では、私自身も、他の表現にすべきでは、なんて思ってしまいますけど。例えば、禅宗の臨済録にある「 仏に逢(お)うては仏を殺し、祖に逢うては祖を殺し、羅漢に逢うては羅漢を殺し、父母に逢うては父母を殺し…」などと同じく、そのまま読めば、なんということを…、という誤解につながるでしょう。事実、禅をカルトと見做す国もあるようです。

これは禅宗の「公案(こうあん)」「不立文字(ふりゅうもんじ)」などをご存知ならばその臨済録の言葉にある真意を多少は量る手掛かりになるのではないかと思います。細々とした解説をするつもりはありませんが、「文字の通りに捉えていては、その先に進まない。文字には頼らない」ということではないでしょうか。「仏に逢(お)うては仏を殺し…」とは「仏というものを疑ってみた時、そこには何が見えるのか…」といった意味であると考えています。しかし、誤解を受けやすい表現であることは、確かにそうであると思います。

「花一輪に飼い慣らされる」とは、仏教のお釈迦様がその「仏心」を信者に示すため、花一輪を無言で差し出したという話からきていると認識しています。当然多くの人はその行為の意味に当惑します。ですが、その中の一人が得心したような笑顔を見せ、お釈迦さまはそれをもって、自らの「仏心」をその者に伝えたとされたようです。この辺りも宗教的な話で細かくやると余計にややこしくなりますので、先の「不立文字(ふりゅうもんじ)」をキーにして読み取れば、まさにそれは「言葉で伝えられる次元のもの」ではなく、「一輪の花の中にある宇宙、その真理、そこにある理(ことわり)」を「見る者に伝えよう」とし、それに感応したものがそこにいた、という理解で十分かと思います。まあ、「不立文字(ふりゅうもんじ)」ですから、文字は役に立たない訳ですが…。

かなり以前のことですけど、確か子供の詩を特集した雑誌か新聞記事かで、ある小学生の男の子の「お魚のお腹の中に宇宙がある」といった言葉を目にして、その感受性に驚かされたことがあります。それと同じように、一輪の花の中に「宇宙」を見出す感受性もあるでしょう。目の前にある事象のままに眺めていては、そうした感受性も発動はしてくれないのでしょう。お釈迦様の差し出す花に微笑んだ者の心の内には「仏心」が伝わり、広大な宇宙とその理が現れたのでしょうか。「あるがままに受け取る」と近いようなことと思います。それはとても難しい事なのですが…。と、今日も花を眺めていますが、理屈が多いと花は「飼い慣らして」、その宇宙を見せてはくれないのでしょうね。

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