花を飾る 日常をホンノリと彩る…

花のお話 その54「明日世界が終わりになろうとも、今日、私は花を飾ります」



トピック イメージ 花 このサイトは「花を飾る」生活の楽しさをテーマにしていますので、あまりそれ以外のことは書きたくないのですが、訳あって、今回は直接「花」のこととは違うことを書いてみます。まあ、自由に何かを書くことに殊更の縛りは要らないと思うのですけど、どうにも色々なメディアから、いささか気が滅入るようなことばかりが目に入ってきますし、個人的な事で恐縮ですが、直近でいささかハッピーではないことがあり、そんな気分で花を眺めていると、ふとある言葉を思い出し、それが今の自分の気持ちと重なりましたので、その想いのほどを、月並みな表現ですが、「徒然」に、ということで…。

タイトルに掲げた言葉、気障であることは百も承知です。ただ、この言葉のもとは確かユダヤの格言だったと思うのですが、「明日世界が終わりになろうとも、今日、私はオレンジの苗を植える」というものです。オレンジではなくオリーブであるという説もありますが。この言葉は私が好きな言葉のひとつです。それをお借りして、自分の気分を言葉にしてみると気持ちが少しばかり安らぎました。ですから、少々気恥ずかしいのですが、タイトルとして掲げてみました。でも、やっぱり気障ですね、自分が言うと…。

人がなぜ生活の場に花を飾るのかは、それぞれに色々な理由があると思います。私の場合は、自然からその美しい姿を少しばかり分けていただいて、生活という空間を穏やかに彩らせてもらいます、ということです。そこにはいささかの「ささくれだった」気分とは全く無縁の空間がホンノリと現れます。自分も生かされている自然の生み出した「憩う」一時をお借りしている、そう考えています。もちろん、花が「美しい」のは人に安らぎをもたらせるためではなく、その生物としての生存をかけた造形であることは十分承知していますけど。

話を元に戻します。世の中が常に穏やかであり、皆が自分の好きなものを「自分の部屋」の中で楽しめるということばかりではないと思いますが、そうした時間は個人にとって限られたものであり、それを忘れて「ささくれだった」時間の中で日々を過ごすのは、なんとも不本意な事だと思います。せめて、自分のささやかな楽しみの中で「憩う」ことは大切にしたいと願います。パンセの一節だったように記憶していますけど、「諸悪の根源は、人が自分の楽しみを自分だけの部屋の中で持てないことにある」といった意味の言葉がありましたが、私はこの言葉に共感します。「諸悪の根源」的な言い方はちょっとキツイな、とは思いますが。

考えてみれば、世界はとっくに、何度も「破滅(消失)」する可能性の上に成り立っています。ある日突然、それが起きても、不思議はありませんし、起きてしまえばそれまでです。何故、そんな状況になるのでしょうか。そんなことを起こしてしまうのも「人」なら、部屋に飾った花に「憩い」の一時を与えられるのも「人」です。さて、自分はどうすればいいのか…。日々を、できるだけ穏やかに暮らしていく、まずはそれでいいのだと思います。そういう時間があとどれくらい自分に残されているのか分かりませんけど、だからこそ、今日も明日も、このままでいいのだと思います。何者になる必要も感じません。

今回は「花」からかなり外れたところに気持ちが行っていますね。今、カーネーションやオンシジューム、スターチスなど、ある機会にいただいた花があります。これをコジンマリと色々な花器(瓶、コップ~)に飾って、部屋のあちこちに置いてみたいと思います。タイトルに掲げた気障な言葉を、ちょっとはにかみながら口ずさんで。

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