花を飾る 日常をホンノリと彩る…

花の詩紹介 花の詩3


 ※花の名前の()内は一般的な和名です

  ジンチョウゲ (ジンチョウゲ:沈丁花)
  
分類:フトモモ目ジンチョウゲ科ジンチョウゲ属
  花期(路地・鉢物):3月~4月

ジンチョウゲ イラスト「沈丁の 香りの強ければ 雨やらん」
 松本たかし
「沈丁花 いまだは咲かぬ葉がくれの くれなゐ蕾匂ひこぼるる」
 若山牧水
「沈丁花 近づきて香を 遠ざけて」
 稲畑汀子
「部屋空ろ 沈丁の香の とほり抜け」
 池内友次郎
「授乳の目 とぢし日向の 沈丁花」
 福田甲子雄


 やはり、全てジンチョウゲの「香り」を詠っています。秋の「金木犀」、春の「沈丁花」でしょうか。作者の方々の詩藻には失礼な表現になりますけど、二番目の下の句にある「くれなゐ蕾」の言葉以外、どの歌も、「沈丁花」を「金木犀」に置き換えても同じような趣を味わえます。三番目の詩の、どこからともなく漂ってくる香りに、その花の在り処を探すと、ふと香りがどこかへ行ってしまうという事、経験ありませんか? 五番目の詩のように、その香りは「目を閉じて」感じる物なのでしょう。四番目の詩が好きです。まさに「沈丁花の香り」を言葉にすれば、このようになるのだろうと感じます。

  ユキヤナギ (ユキヤナギ、コゴメバナ:雪柳、小米花)
  分類:バラ目バラ科シモツケ亜目シモツケ属
  花期(路地・鉢物):3月~5月

ユキヤナギ「雪柳 老の二人に 一と間足り」
 富安風生
「雪柳 花みちて影や やはらかき」
 沢木欣一
「雪柳 花にも重み ありにけり」
 落合水尾
「雪柳 ふぶくごとくに 今や咲き」
 石田波郷
「井戸ばたに こほれて白し 小米花」
 正岡子規
「四畳半 三間の幽居や 小米花」
 高浜虚子


 小米花(コゴメバナ)とは雪柳の別称です。雪柳というのも艶があっていいのですが、小米花というのも花のイメージからするとこちらの方が似合っているような…。正岡子規と高浜虚子は「小米花」と詠っています。やはり師弟という事でしょうか。余談ですが、虚子は子規から後継者となる事を依頼されますが、これを断っています。理由が何であるのか詳しくは知りませんが、虚子は子規の没した後、俳句の創作を辞めています。二人に共通するのは「(客観)写生」で、日常の中から景色を切り取るのに、やはり同じように「小米花」という名称を使っています。感じ取る心は同じだったのでしょう。三番目の詩が好きです。満開になった雪柳の枝が春の穏やかな風の中で、まさにたわむ風情が、絵のように感じ取られます。雪柳ならではの詩のように思います。

  チューリップ(ウコンコウ:鬱金香
  ●分類:ユリ目ユリ科チューリップ属
  ●
花期(路地・鉢物):3月~5月

チューリップ イラスト「チューリップの 花には侏儒が 棲むと思ふ」
 松本たかし
「青という 雑誌チューリップ ヒヤシンス」
 高浜虚子
「ベルギーは 山なき国や チューリップ」
 高浜虚子
「チューリップ 影も作らず 開きけり」
 長谷川かな女
「お絵描きの 初めは吾子の チューリップ」
 稲畑廣太郎
「チューリップ 喜びだけを 持ってゐる」
 細見綾子


 どの詩にも共通するのは「良い意味で、捻ることなくそのままを詩にしている」ところだと思います。一番目の詩の「侏儒(しゅじゅ:※今ではあまり良くない意味も含んでいますので、一般的には使われません)」とは「小人」の事です。絵本を開いてでもいるような詩です。二番目の詩の「青」というのは、虚子の愛弟子、波多野爽波が創刊した俳句雑誌で、それを祝って贈った詩です。祝う心を花に託したのでしょう。四番目の詩はチューリップのスッと立っている花の姿をそのまま感じさせてくれます。五番目、六番目の詩もそうですけど、チューリップの姿には人の心を「そのまま童心に帰す力」があるのでしょうか。

  タンポポ (タンポポ:蒲公英)
  
分類:キク目キク科タンポポ属
  花期(路地・鉢物):在来種、4月~5月 外来種、年に数回

タンポポ イラストタンポポは大きく分けて、古来から日本に生育している「在来種」と、近世に海外から持ち込まれた「外来種」があります。夏場に見られるタンポポは、外来種のセイヨウタンポポです。在来種は茎の高さが外来種に比べて概ね低いようです。見分け方は花期の「総苞片(そうほうへん:花びらを束ねている元の部分)が外に反り返っているのが外来種で反り返っていないのが在来種です。しかし、交雑が進んでいるため、単純に判断できない場合もあるようです。

「もう転ぶまい 道のたんぽぽ」
 種田山頭火
「今日の道の たんぽぽ咲いた」
 種田山頭火
「ふまれてたんぽぽ ひらいてたんぽぽ」
 種田山頭火
「人々は 皆芝に腰 たんぽぽ黄」
 高浜虚子
「蒲公英や ボールころげて 通りけり」
 正岡子規
「犬去って むつくと起る 蒲公英が」
 夏目漱石

 タンポポは野辺にさりげなく咲いている花です。道脇であったり、原っぱであったり、河原であったり。やはりその趣を詠ませれば、山頭火の詩が好きです。一番目の詩は、道で転んだ山頭火の目に映ったのがタンポポなのでしょう。五番目の子規の詩で「ボールころげて」とありますが、これは野球のボールだと思います。正岡子規は野球に大そう熱中していたようで、野球という名は正岡子規が創ったとか。本名が升(のぼる)だったので、「野ボール」で「野球」だそうです。どこかの原っぱか学校の校庭でしょうか。ボールが転がって行く、そんな所に咲くタンポポという花を、サラリと絵のように詠っています。一番好きなのはやはり山頭火。三番目の詩です。思わず口ずさみたくなるような詩です。

  スミレ (スミレ:菫)
  ●
分類:キントラノオ目スミレ科スミレ属
  ●
花期(路地・鉢物):3月~5月

スミレ イラスト「山路来て 何やらゆかし すみれ草」
 松尾芭蕉
「かたまって 薄き光の 菫かな」
 渡辺水巴
「菫咲く 川をとび越す 美人哉」
 小林一茶
「きけな神 恋はすみれの紫に ゆふべの春の 賛嘆のこゑ」
 与謝野晶子
「春の野に すみれ摘みにと 来こしわれそ 野をなつかしみ 一夜寝にける」
 山部赤人(万葉集)
春の野に さけるすみれを てに摘みて わがふるさとを おもほゆるかな」
 良寛
紫の 花なつかしみ 武蔵野の くさはみながら すみれともがな」
 本居宣長

 スミレは、先のタンポポと同じように、野辺にさりげなく咲いている花ですが、眺める詩人たちの情緒は少し違う方向に流れるようです。タンポポを「春の表」とすれば、スミレは「その裏」のような存在でしょうか。何かの「思い」をそれぞれの人の心に湧き上がらせるようです。一番目の「何やらゆかし」、二番目の「薄き光」、三番目の「川をとび越す 美人」などは、かつての「何かの思い」が歌い込まれているように思います。四番目の詩は、詠ったのが与謝野晶子ですから、そのまま感じてください。五番目以降の和歌は、万葉の時代からどれほど時を隔てても、同じような詩になっています。やはり、スミレは人の心に何かの思いを、静かに湧き上がらせるのでしょう。

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