花を飾る 日常をホンノリと彩る…

花のお話 その18「三人の菜の花忌 司馬遼太郎 伊藤静雄 千利休」



トピック イメージ 花 菜の花忌」と聞けば、まず司馬遼太郎の命日が思い浮かびます。司馬遼太郎は黄色い花を好んだそうです。しかも野に咲くタンポポや菜の花など。氏の書斎(現在は記念館)の前には菜の花が一面に植えられています。また、司馬遼太郎の作品に「菜の花の沖」という作品がある事にも由来しているのでしょう。この作品は高田屋嘉兵衛という、江戸時代末期の船乗り(廻船商人)の生き様を鮮やかに描き上げた作品です。殊更、菜の花が出てくる訳ではありませんが、司馬遼太郎の風景として、菜の花の咲き乱れる景色の沖に浮かぶ廻船の景色をイメージされたのでしょう。氏の命日(没年1996年)である2月12日には、咲き誇った菜の花が来館者を迎えています。また、この日の前後には東京・大阪で交互にシンポジウムや講演会が開かれ、会場には菜の花が飾られ、終了後には入場者の方々に配られるそうです。

また、3月12日は詩人である伊藤静雄の命日(没年1953年)でもあり、この日も「菜の花忌」として、全国の文化関係者によって建てられた詩碑の前に多くの人が集まります。詩碑建設の趣意書には、三好達治(詩人)など、各界のそうそうたる文化人が名前を連ねています。正直、私は伊藤静雄の作品を殆ど知りませんでしたが、荻原朔太郎に「日本にまだ一人、詩人が残っていた」と称賛された方です。当初は「菜花忌(さいかき)」と呼ばれていたそうですが、その後「菜の花忌」となったようです。伊藤静雄は、当時まだ治療の難しい肺結核で亡くなりましたが、3年余りの闘病生活で、その病室の窓から菜の花畑が見えるのではないか、とする知人の想像により「菜の花忌」と称されるようになったようです。もちろん、没年の季節にも由来するのでしょう。伊藤静雄はビールをたいそう好んだそうで、菜の花忌にはビール瓶に菜の花を指して飾る事が伝統となっているようです。伊藤静雄の「夏の終わり」という詩に、夏の雲の落とす影が野原を横切り、「……さよなら……さやうなら……」と会釈をしながら通り過ぎ、やがて視界から消えていくという景色が描かれていますが、もし詩人の「優しさ」というものがあるとすれば、このようなものではないかと思います。それゆえに伊藤静雄という詩人は多くの人に愛されたのではないかと思います。

三人目は千利休です。利休の場合は「利休忌」で、「菜の花忌」とも呼ばれます。旧暦で2月28日、新暦で3月28日のその命日(没年1551年)には菜の花が供えられるそうです。その由来は、利休が死に臨む最期の時に目にしたのが菜の花であったとか…。ちなみに、表千家では3月の27日に利休忌を営むようです。個人的には、利休が磨き上げた美学である「わび・さび」の世界と、野に咲く菜の花というものがイメージとして重なり難いのですが、その菜の花の、陽を温ませるような明るさが利休の死を「暗く重苦しい」ものから解き放しているようにも思います。先の両氏の「菜の花忌」も同じような思いで続けられているのでしょうか。


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