花を飾る 日常をホンノリと彩る…

花のお話 その53「春の嵐と曇天に映える桜 お花見は…」



トピック イメージ 花 我が家の目の前にある公園の桜も盛りを過ぎ、辺りは桜の花びらの絨毯に敷き詰められています。数日間、今年も目を楽しませてくれた桜もすでに葉をつけ始めています。この時期になりますと、多少月並みですが「今年も、咲いてくれてありがとう」と桜に言いたくなります。桜は挿し木で増えるクローン(遺伝子が同じ)故、一斉に花開いて一斉に散っていくのだそうですけど、これまでに何度も見ている光景ですが、飽きることなどない毎年の光景です。桜の咲くこの時期、つまりは春ですけど、この時期は文句なしに心が軽やかになり、なぜかしらウキウキしますね。

在原業平が古今和歌集で詠っている詩、「世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」はまさにその通り。桜には人の心をウキウキと騒がせる力があるのでしょう。お花見がまさにその典型です。近くにある桜の咲く公園や広場にはお花見の人たちで大賑わい。都内某所の桜の名所では、もうそこらかしこにシートが敷かれ、会社の若手の方が「番」をされています。しかし、ただでさえたくさんの人で辺りが渋滞気味なのに、通りにくいこと…。早い者勝ちとは言え、公の場を早々と占拠するのは「花を愛でる」気持ちとは程遠いような…。正直申し上げまして、私は「お花見」というものがあまり好きではありません。もう少し、趣のある行事にならないものか。公園の場所取りには殺気立った雰囲気すらあります。あれは「仕事」なのでしょうかね。

幸いなことに(?)、家人もそのような雰囲気が好きではなく、「桜の名所」で花見などという行事は避けます。郊外の山の中に数本咲いている桜を、車を停めて眺めることはありますけど。別に気取っているわけではないのですが、どうにもあの喧噪が好きになれなくて、だから、在原業平の詩を思い出すのです。もしかしたら彼も桜に心を騒がされる人たちの景色が好きではなかったのかも…。桜の下でのドンチャン騒ぎは、風物詩ではあるものの、どうにも日本的情緒なるものとは無縁のように思えて…。ちなみに、在原業平の詩の訳は「もしこの世に桜というものが無かったとしたら、春になっても人々の心はのどかであろうに」、です。

私は、桜には「春の嵐」と「曇天」が似合い、そこにこそ桜は映えると思います。晴れ渡った空を背景にした桜は、それはそれで春らしい景色を見せてくれますが、何か、桜の輪郭が淡くなりすぎ、空気の中に溶け込んでしまってその存在感が希薄になってしまうように見えるのです。まあ、個人的な好みなのですけど。春の嵐や、天気の悪い日が続くと、「あー、桜が散ってしまう」という、一年に一時しかない景色が早々に失われることを惜しむ気持ちが湧くことは湧くのですが、雲が今にも雨を降らせようかといった雰囲気で垂れこめる空を背景にした桜の、何とも雄々しい存在感は例えようもないほどに、花というものの命の力を感じさせてくれます。

そして、春の嵐の強い風に梢を激しく揺さぶられ、ハラハラと花びらを強風に舞散らすその姿は、子供じみた表現で少々お恥ずかしいのですが、森羅万象に君臨する自然の王者の姿のように見えるのです。もちろん、その周辺にはお花見などという景色は全くありません。そして、花びらを一斉に散らした後、穏やかに緑の葉を茂らせ始めます。その姿もまた好きな「自然の光景」のひとつです。何か、桜が辺りの木々に「命を下す」ような感じで五月に向かって一斉に新緑が湧きたつように萌え始めます。

一年の内で一番好きな季節の中にいます。ただ、あれには閉口します。青々と茂った桜の葉の中からスーッと落ちてくる、毛…。口にするのも嫌いな、あれです。

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