花のお話 その57「青いカーネーションをご存知ですか その名はムーンダスト」


■どちらも「青」の色素が無いのに遺伝子工学の力でその色素を組み込み、その研究に日本のメーカーが成功しているとは、ビジネスとは言え、ちょっと、日本もまんざらではないロマンチストなのかも。「青いバラ」の花言葉は「不可能」「あり得ない」だったそうです。しかしそこに、「夢叶う」との花言葉が加えられたとか。そして、「青いカーネーション」の花言葉は「永遠の幸福」。その名は「ムーンダスト(Moondust)」。ちなみに「青いバラ」は「APPLAUSE」で、その意味は「喝采」です。両者は園芸家の「夢」だったのです。ちなみに「青」が登場したのはカーネーションの方が先で、1995年(平成7年)で、青いバラは2004年(平成16年)です。
■このカーネーションはナデシコの仲間で、様々な園芸種がありますが、古くから人々に愛され、シェークスピアの時代には「冠飾り(Coronation Flower)」に使われたことがその名の由来であるようです。17世紀にはヨーロッパで多くの品種が生まれ、日本には江戸時代以前にもう輸入されていたようです。
■ちなみに、このカーネーションが日本に定着するのに、ある日本人の存在が大きくかかわっていたことをご存知でしょうか。先に、カーネーションは日本の江戸時代以前には輸入されていたと書きましたけど、この時には日本に定着していません。理由は、その栽培法までは定着していなかったからだそうです。日本にカーネーションが定着するのは近代に入ってからです。明治期に温室での栽培が試みられますが、栽培方法を確立するまでには至らなかったそうで、それを引き継いだのが土倉龍治郎(どくら りゅうじろう)という人物です。彼は苦労してカーネーションの栽培方法を確立し、その技術を秘匿することなくオープンにしたそうです。それが、その後の日本でのカーネーション栽培の拡大につながることとなります。
■土倉龍治郎は日本における「カーネーションの父」と呼ばれ、カーネーションに関する研究の著書も残しています。彼に関する詳しい資料がそれほど残っているわけではないようですが、土倉龍治郎のカーネーション栽培にかけた情熱はどこにあったのでしょうか。もともとは林業や発電などの実業家だったようです。家の事情もありそれらを財閥企業に譲渡して、カーネーション栽培に取り組んだとのことです。
■その情熱の在処は、ビジネスと言ってしまえば艶も何もないものとなってしまいますが、やはり、日本人が愛する「ナデシコ」の仲間であるカーネーションのその香りと美しさが彼を引き付けたのだと思います。日本人が初めてカーネーションを目にして、それがやっとこの地に根付いたのは三百数十年後のことです。
■2015年(平成27年)の「農林水産省 花き出荷量」の資料を見ると、切り花として流通したカーネーションは全国で2億7,090万本だそうです。最近では鉢植えの品種も普及しているようですが、カーネーションは日本で、キク、バラと並ぶ生産高を誇る花き植物です。その需要は、もちろん、5月の「母の日」前後にピークを迎えます。そうした光景を作り上げた日本人がいて、そして「永遠の幸福」という花言葉を持つ「青いカーネーション」を生み出したのが日本の企業というのは、なにか、日本人の持つ感受性がカーネーションに惹きつけられたような思いがします。繰り返しますが、カーネーションは「ナデシコ目ナデシコ科」ですから。
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★花の詩紹介 花の詩4
★花の詩紹介 花の詩1
★花の詩紹介 花の詩6
★花の詩紹介 花の詩2
■これからギターを始められる方のご参考にでもなれば。
