花を飾る 日常をホンノリと彩る…

花のお話 その60「春の準備の景色 毎年の事ではありますが」



花のお話 まさに毎年の事ですけど、忘れもせずに自然というのは春夏秋冬、そのサイクルを違えることなく季節を繰り返し作り続けてくれるものだと思います。今更改めて感心することでもないのですけど…。その四季のスタートを感じさせてくれるのはやはり春でしょうね。そしてその春を真っ先に知らせてくれるのは、庭に植えてある小さな梅の木にひとつふたつ、開いた花でしょうか。

元が祖父の盆栽(父親が世話をできずに庭に移植してしまいました)でしたので枝ぶりはなかなかのものです。今年の冬はとても寒くて、それでも雪の中で開いている梅の花を見ると、なんとも可愛らしい中に命の深い力を感じざるを得ませんし、春が近いことにまた一年の花々が目を楽しませてくれる事に、ささやかな嬉しさを覚えます。そんなことが嬉しく感じるのも、何度も四季を眺めてきたからでしょうか。まあ、若くは無い、という事でしょうけど…。

「冬来りなば春遠からじ」という一節がありますが、この原典が何であるのか、考えたことはありませんでした。ごくごく当たり前に、そう言い継がれてきた日本の「箴言(しんげん):戒めの言葉、教訓の意味をもつ短い言葉、格言」だと思っていました。しかし、それが、イギリスの詩人シェリーの詩が出典で、彼の長詩「西風に寄せる歌」の中にある言葉と知ったのは比較的最近の事です。"If Winter comes, can Spring be far behind ?" が元の詩です。この詩を見事な日本語に訳したのは、上田敏であるといわれていますが、ハッキリとはしないようです。

しかし、まさに「冬来りなば春遠からじ」、冬が厳しく寒ければ寒いほど、この言葉は温かみを増す不思議な言葉です。と思って、元の詩を見ていると、最期に "?" が付いていることに気が付きました。訳された詩は疑問文の表現にはなっていません。"far behind" を直訳すれば「遠く、遅れて(後ろに)」でしょうが。"can Spring be far behind ?" をこれまた直訳すれば「春は遠く後ろに在ることができるだろうか」でしょうかね。何か、直訳には意味が無いと思うのですが、"?" に込められているような想いが少し気になります。

どちらかというと大雑把な性格で、考え込むのは似合わないと思っているのですけど、考えてしまいます。それで、もう一度詩を見てみると、その出だしに "if" とあります。それを改めて見て、何となく分かったような気がしました。イギリスの詩人シェリーは理想主義的なロマン派。これはやはり箴言であるとみれば、その出だしは「もし冬が訪れるのであれば」でしょう。そして "can" 以後はそれに答えて「春が遠く遅れてあるという事があるでしょうか」。それに加えて「春は必ず来るのです」という想いがそこに込められているのでしょう。日本の訳詞にもそうした想いが込められていることを改めて感じます。

偉そうに考えてみましたが、ちょっと腑に落ちたような気分です。一年の季節の最後は厳しい冬ですけど、そのスタートは春です。そう思います。ちょっと安直な考えかもしれませんけど、春は自然界が人間も含めてリセットする時なのかもしれません。確かに毎年の事ではあるのですけど、何度迎えても春という季節が文句なしにウキウキとさせてくれる理由がそんな事にあるのだと感じます。ちょっと、理屈っぽいかもしれませんけど。

その時が来るのを自然の花が、ポツリポツリと知らせてくれます。

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