※花の名前の()内は一般的な和名です。
ムクゲ (ムクゲ:木槿)
●分類:アオイ目アオイ科アオイ亜科フヨウ連フヨウ属
●花期(路地・鉢物):7月~10月
「それがしも 其の日暮らしぞ 花木槿」
小林一茶
「お遍路 木槿の花をほめる 杖つく」
尾崎放哉
「白木槿 まいにち咲いて まいにち淋し」
山口青邨
「二つ三つ 十とつもらぬ むくげ哉」
加賀千代女
「白木槿 咲きしばかりの 清しきを 手に取り持ちて 部屋に帰り来」
斎藤茂吉

ムクゲは、早朝に鮮やかに開花し、夕方には萎んでしまう「一日花」です。人の世の短い栄華の喩えとして「槿花(きんか)一朝の夢」という言葉さえあります。その美しさと同時に儚さを持つムクゲは、それゆえに「今ひと時の美しさ」が詩人の胸に映えるのでしょうか。どれもがそのひと時の美しさを惜しむような想いの漂う詩です。二番目の尾崎放哉の詩は何気ない光景を切り取ったものではありますが、そこにある「お遍路」と「杖」と「木槿」の花が、どこか儚い心象を創っているように思います。三番目の山口青邨の詩は、そのまま過ぎるほどにムクゲを眺めています。一番目の小林一茶の詩は、一茶一流の諧謔、本領発揮です。
キキョウ (キキョウ:桔梗)
●分類:キキョウ目キキョウ科キキョウ属
●花期(路地・鉢物):6月~9月
「桔梗の花 咲く時ぽんと 言いそうな」
加賀千代女
「紫の ふつとふくらむ 桔梗かな」
正岡子規
「むつとして 口を開かぬ 桔梗かな」
夏目漱石
「きりきりしやんとしてさく 桔梗哉」
小林一茶
「うつむきて ふくらむ一重 桔梗哉」
尾崎放哉
「朝顔は 朝露負ひて 咲くといへど 夕影にこそ 咲きまさりけれ」
よみ人しらず(万葉集)

加賀千代女、正岡子規、夏目漱石、小林一茶、それぞれが桔梗のあのプックリとした蕾から、そして鋭角なイメージで咲く桔梗をそれぞれに詠っているのが何とも面白いと思います。桔梗を捉える「ぽん」「ふつ」「むつ」「きりきりしやん」は、まさに詩詠み人たちの真骨頂でしょう。五番目の尾崎放哉の詩は、これだけ見ると彼が自由律の異才であるとは思えません。こんな歌もさりげなく詠むのですね。六番目の詩は、万葉集で詠われる「朝顔」というのが今のアサガオではなく桔梗である、という説の根拠となっています。
ワレモコウ (ワレモコウ:吾亦紅、吾木香)
●分類:バラ目バラ科バラ亜目ワレモコウ属
●花期(路地・鉢物):7月~10月
「吾亦紅 さし出て花の つもりかな」
小林一茶
「吾も亦(また) 紅(くれない)なりと ひそやかに」
高浜虚子
「赤きもの つういと出でぬ 吾亦紅」
高浜虚子
「何ともな 芒がもとの 吾亦紅」
正岡子規
「あるが中に 恋の涙のわれもかう われの涙の 野のわれもかう」
与謝野晶子
「吾木香 すすきかるかや 秋草の さびしききはみ 君におくらむ」
若山牧水

この花の形から来るのでしょうか。一番目、二番目、三番目、四番目、ユーモラスな詩がサラリと詠われています。特に高浜虚子は正岡子規が後継者と目しただけあって、写実的な観察者としての詩人の目で、そのワレモコウの姿を詠っています。与謝野晶子の詩は、これまた彼女らしい詩です。素朴な姿のワレモコウに「恋」の文字を被せるのは、彼女ならではでしょう。この「われもかう」という表現は「私もそうなの」という言葉にかけているような気がするのは深読みのし過ぎでしょうか。でも、この花の姿がもの悲しさも誘うのは、六番目の若山牧水の詩から感じ取れます。
リンドウ (リンドウ:竜胆)
●分類:リンドウ目リンドウ科リンドウ属
●花期(路地・鉢物):9月~11月
「りんだうや 枯葉がちなる 花咲きね」
与謝蕪村
「龍胆の 花かたぶきて 殊勝さよ」
斎藤路通
「竜胆を 畳に人の ごとく置く」
長谷川かな女
「竜胆や 月雲海を のぼり来る」
水原秋櫻子
「竜胆や 風落ち来る 空深し」
芥川龍之介
「山ふところの ことしもここに 竜胆の花」
種田山頭火

私個人がこのリンドウに持っているイメージは「鮮やかな色の存在感」なのですが、同時に「可憐」さも感じます。しかし、詩人たちの目には、「可憐」というよりも、何か自然の中にある「神々しさ」として映っているのでしょうか。どの詩にもその背景に、決して「軽い明るさ」のようなものが感じられません。詩人たちはこの花を見る時、花だけではなくその背景である自然を畏敬するような感情を湧かせるのでしょうか。特に四番目の詩にそれを感じます。最後の山頭火の詩は同様に背景の自然ごとリンドウを映し取っていますが、これには山頭火一流の軽妙さを感じてしまいます。
サザンカ (サザンカ:山茶花)
●分類:ツツジ目ツバキ科ツバキ属ツバキ亜目サザンカ節
●花期(路地・鉢物):10月~翌年4月(品種により異なる)
「山茶花を 旅人に見する 伏見かな」
井原西鶴
「山茶花や 雀顔出す 花の中」
松岡青蘿
「山茶花に 雨待つこころ 小柴垣」
泉鏡花
「山茶花の こゝを書斎と 定めたり」
正岡子規
「山茶花の みだれやうすき 天の川」
渡辺水巴
「山茶花の 木の間見せけり 後の月」
与謝蕪村
「また逢へた 山茶花も咲いてゐる」
種田山頭火

サザンカはツバキの仲間ですが、ツバキと違って、花びらが一枚ずつ散ります。冬枯れの中に華やかに咲くこの花は多くの詩人に愛され、多くの詩が詠まれています。一番目から六番目の詩まで、詩の始まりが全て「山茶花」です。これは、先のリンドウに似ているのか、まず「サザンカ」を詠じ、そして、それを中心とした景色、心象をその背後に感じるのでしょう。それが一層、サザンカの美しさを訴えてきます。最後の山頭火の詩は、これはやはり山頭火ですね。
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★花の詩紹介 花の詩1
★花の詩紹介 花の詩6
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